2008年10月01日
歴史紹介 ~3人の大作家を育てた(1):長谷川伸~
今日は、歴史に関してお伝えします・
今回より3回にわたって、大岡川沿い地域にゆかりのある大作家を紹介します。
その第1回目となる今回は、長谷川伸をとりあげます。
長者橋の日ノ出町側のたもとに長谷川伸の碑があります。
評論家の平岡正明さんが1997年(平成9年)に建てた高札風のものと、
2002年に日ノ出町町内会と日ノ出町駅前商店会が建てた石碑とがあります。
いずれもこの町が、『瞼の母』『一本刀土俵入』などで有名な劇作家の生誕の地であることを伝えています。
長谷川伸(本名・長谷川伸二郎)は1884年(明治17年)生まれ。
大伯父は越後出身の大工で、開港とともに横浜に移り、まちづくり工事に携わりました。
明治時代初め、日ノ出町に材木商駿河屋を構えたが、後を継いだ父の代になって倒産し、伸は小学校を中退して働くことに。
現在のみなとみらい地区にあったドックの工事請負人のところで住み込みで働いたりして、
日ノ出町からは離れましたが、27歳の時に東京の新聞社に入るまで横浜にいました。
そして、後年、渡世人を描いた小説や戯曲で認められることとなりました。
kato
今回より3回にわたって、大岡川沿い地域にゆかりのある大作家を紹介します。
その第1回目となる今回は、長谷川伸をとりあげます。
長者橋の日ノ出町側のたもとに長谷川伸の碑があります。
評論家の平岡正明さんが1997年(平成9年)に建てた高札風のものと、
2002年に日ノ出町町内会と日ノ出町駅前商店会が建てた石碑とがあります。
いずれもこの町が、『瞼の母』『一本刀土俵入』などで有名な劇作家の生誕の地であることを伝えています。
長谷川伸(本名・長谷川伸二郎)は1884年(明治17年)生まれ。
大伯父は越後出身の大工で、開港とともに横浜に移り、まちづくり工事に携わりました。
明治時代初め、日ノ出町に材木商駿河屋を構えたが、後を継いだ父の代になって倒産し、伸は小学校を中退して働くことに。
現在のみなとみらい地区にあったドックの工事請負人のところで住み込みで働いたりして、
日ノ出町からは離れましたが、27歳の時に東京の新聞社に入るまで横浜にいました。
そして、後年、渡世人を描いた小説や戯曲で認められることとなりました。
kato
Posted by 市大生 at 22:00│Comments(0)
│歴史
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