2008年12月22日
野毛のまち紹介(20) ~野毛商店街~
今日は野毛商店街の紹介をいたします。

野毛の街づくりは、神奈川奉行所が置かれたことにより、
奉行者役人の宅地開発から始まりました。
明治維新後、開港場へ繋がる横浜道の拠点として、
商人や職人が全国から集まりました。
関東大震災、横浜大空襲を乗り越え、1970年代前半までは
全国でも有数の活気あふれる街で、数々の映画や小説の舞台にもなりました。
近年では、商学連携による地域活性化コンテストなどの
街づくりの取り組みが行われています。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.77
terada

野毛の街づくりは、神奈川奉行所が置かれたことにより、
奉行者役人の宅地開発から始まりました。
明治維新後、開港場へ繋がる横浜道の拠点として、
商人や職人が全国から集まりました。
関東大震災、横浜大空襲を乗り越え、1970年代前半までは
全国でも有数の活気あふれる街で、数々の映画や小説の舞台にもなりました。
近年では、商学連携による地域活性化コンテストなどの
街づくりの取り組みが行われています。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.77
terada
2008年12月19日
野毛のまち紹介(19) ~横浜道~
今日は「横浜道」の紹介をいたします。

開港が決まった当時、東海道と港との連絡は、保土ヶ谷から
井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかったため、
幕府は東海道筋の芝生村(現浅間町交差点)から関内に至る
「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。
この「横浜道」は新開地への主要街道として大いに賑わい栄えました。
現在の野毛の街でいうと、戸部方向から南へ伸び、中央図書館の前の
交差点で東へ曲がり、吉田橋へと続く道が「横浜道」にあたります。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.63
terada

開港が決まった当時、東海道と港との連絡は、保土ヶ谷から
井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかったため、
幕府は東海道筋の芝生村(現浅間町交差点)から関内に至る
「横浜道」と呼ばれる道路を開きました。
この「横浜道」は新開地への主要街道として大いに賑わい栄えました。
現在の野毛の街でいうと、戸部方向から南へ伸び、中央図書館の前の
交差点で東へ曲がり、吉田橋へと続く道が「横浜道」にあたります。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.63
terada
タグ :野毛
2008年12月17日
野毛のまち紹介(18) ~横浜にぎわい座~
今日は野毛のまち紹介シリーズの第18回目として、
「横浜にぎわい座」の紹介をいたします。
桜木町駅と日ノ出町駅を結ぶ広い道路の北側に面しており、
かなり目立つ、有名なスポットだと思います。

開港後、日本中から横浜に押し寄せた人々は娯楽を求め、
野毛地域に隣接する賑町では数多くの芝居小屋や寄席が開業しました。
2002年、かつて寄席や芝居小屋がたち並び、連日華やいだ地域の伝統を受け継ぎ、
芸能を味わうための「横浜にぎわい座」がオープンしました。
新しい芸能を生み出す場として期待されています。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.76
terada
「横浜にぎわい座」の紹介をいたします。
桜木町駅と日ノ出町駅を結ぶ広い道路の北側に面しており、
かなり目立つ、有名なスポットだと思います。

開港後、日本中から横浜に押し寄せた人々は娯楽を求め、
野毛地域に隣接する賑町では数多くの芝居小屋や寄席が開業しました。
2002年、かつて寄席や芝居小屋がたち並び、連日華やいだ地域の伝統を受け継ぎ、
芸能を味わうための「横浜にぎわい座」がオープンしました。
新しい芸能を生み出す場として期待されています。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.76
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タグ :野毛