2008年12月06日
野毛のまち紹介(15) ~掃部山公園・井伊掃部頭の銅像~
今日は、「掃部山公園」および同公園内の「井伊掃部頭の銅像」の紹介です。
掃部山公園は、紅葉坂の通りから北に少し入ったところにあります。
紅葉坂の通りは片側一車線ながら交通量の多い通りとなっていますが、
そこから一歩離れたこの公園は、それとは対照的に、緑の多い広い公園で、
あまり人気もなく、のんびりとした静かな様子です。

掃部山は、江戸時代には「不動山」、明治に入ってしばらくは「鉄道山」と呼ばれていました。
鉄道建設のために来日した外国人技師の官舎がここにあり、
また鉄道開通後も湧き水が鉄道用水として利用されていたのです。
明治17年、旧彦根藩士の有志が、元藩主であり幕末の大老としても活躍した
井伊掃部頭直弼の記念碑建設を計画し、この「鉄道山」を井伊家の所有としてから
この山は「掃部山」と呼ばれるようになったようです。

公園内にある「井伊掃部頭の銅像」です。
これまで複数の像や碑を紹介してまいりましたが、その中で最も大きい像です。
木の多い公園の中でも目立つ存在となっており、
最初見たときはそのスケールにちょっとびっくりしました。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.62
terada
掃部山公園は、紅葉坂の通りから北に少し入ったところにあります。
紅葉坂の通りは片側一車線ながら交通量の多い通りとなっていますが、
そこから一歩離れたこの公園は、それとは対照的に、緑の多い広い公園で、
あまり人気もなく、のんびりとした静かな様子です。

掃部山は、江戸時代には「不動山」、明治に入ってしばらくは「鉄道山」と呼ばれていました。
鉄道建設のために来日した外国人技師の官舎がここにあり、
また鉄道開通後も湧き水が鉄道用水として利用されていたのです。
明治17年、旧彦根藩士の有志が、元藩主であり幕末の大老としても活躍した
井伊掃部頭直弼の記念碑建設を計画し、この「鉄道山」を井伊家の所有としてから
この山は「掃部山」と呼ばれるようになったようです。

公園内にある「井伊掃部頭の銅像」です。
これまで複数の像や碑を紹介してまいりましたが、その中で最も大きい像です。
木の多い公園の中でも目立つ存在となっており、
最初見たときはそのスケールにちょっとびっくりしました。
参考資料:野毛地区振興事業協同組合編『ノゲ劇場 野毛界隈』p.62
terada
Posted by 市大生 at 23:52│Comments(0)
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